葬儀前

病院から帰宅して顔族一同呆然となっていた。

会ってはいなかったものの父がいるというのは当たり前になっていた。その父がまさかこんなに早く突然にいなくなるとは誰も予想していなかった。

父との思い出はいいものばかりではない、むしろ悪いものが大半を占めている。

しかし父としての思入れもあるし、ある種の絆は私たちの中にはあり、その存在がなくってしまったのは素直に悲しく喪失感を覚えた。

そこから2日後のことだったろうか、父の妹、私の叔母にあたる人物から連絡が来た。父のことは残念だったという言葉とともに、父が当時経営していた会社の鍵が見つからずもし持っていたら送ってほしいとのことだった。

私たちは病院で受け取ったものの中に鍵等入っていることを思い出し一式をその日のううちに郵送した。しかし今思えばこれは大きな間違いだったと思う。

一週間もすれば葬儀の段取りについて叔母から聞かれた、当時父と母は離婚していたので母は葬式に行くべきか悩んでいた。

母方の祖父母は一応母のもと夫であり一度は家族になった縁もあるのっで葬儀に出席したいと申し出てくれたがそれを叔母に告げるともう家族ではないので遠慮してもらいたいと断られた。

母はその返答に悲しそうにしながらも、自分の両親も行けないのなら自分も行かないと決めた。そして葬儀には私と姉だけで行くことになった。

父の事故には同乗者がいた。同乗者の方も父と一緒に亡くなってしまった経緯から葬儀は小規模で親しい人のみで行うことを聞かされた。そのことを聞き自分の祖父母の出席の申し入れを断ったことにも納得した。

 

しかし葬儀当日は私たちの予想をはるかに超えた事態が待ち受けていた。

 

父との関係性

このブログは平穏な日常を送っていた二十歳の私が父の死をきっかけに祖母に訴えられたリアルに起こった話を綴っているブログです。

父との関係性

我が家は一般的とは言えない家族の形をしていた。

物心つく頃から父は忙しい人だった、基本的に帰りは遅く週に2日会えれば良い方ではあった。父が帰ってくる日は決まって母は父の好きな料理を作って待っていた。

しかし私が幼稚園年長になる頃には月に一回会うか会わないかになっていた。父は勉強に厳しく、勉強が苦手だった私はいつも父が帰ってくる日はなるべく早く寝て勉強を回避していたため帰ってこないことにどちらかと言えば喜んでいたと思う。

しばらくして月に一回もなくなり、いつの間にか父と会うのは必ず外になっていた。私は父のことを好きでも嫌いでもなかった、私にとって父は近くて遠い存在であり、彼は父ではあるものの未知の領域だった。

そこから月日が経って2019年に突然なくなったわけだが、その当時父は祖母と一緒に住んでいた。

病院の個室で警察官に父について聞かれたが、4年もあっていないため何しに車に乗ってどこに行こうとしていたなどわかるはずもなかった。当時父は祖母と一緒に住んでいたため私たちが祖母と連絡を取ろうとするも繋がらず、警察もどこにいるかわからないような状況が数時間続いた。

その間私たちは病院から父の身につけたいたものを受け取った。

その中には血のついたシャツ、財布、折りたたみの携帯、そして鍵が入っていた。祖母とも連絡がつかない中、4年も父にあっていない我々が受け取るべきなのか迷ったが病院では保管できないということで私たちが預かることになった。

終電間近になり帰るかこのまま泊まるか迷っていた時に警察官から祖母と連絡が取れたことを聞かされた。祖母は旅行中で病院に来るまで時間がかなりかかるということでその日は私たちも帰宅することにした。

 

 

 

二十歳で祖母に訴えられちゃった話

このブログは平穏な日常を送っていた二十歳の私が父の死をきっかけに祖母に訴えられたリアルに起こった話を綴っているブログです。

父の死

時は遡り2019年のゴールデンウィーク

友達と京都に旅行に行って帰宅した直後のことでした。姉が慌てて階段を駆け下りながら『警察から電話があった、父が事故にあって危篤だから急いで来て欲しい』って

姉大慌て、私は驚きで声が一瞬でなかった。しかし母は意外と冷静でその電話が本当に警察であったか、どのように行くかなど淡々と準備していた。

道中は意外と落ち着きを取り戻している自分がいた。もしかしたら危篤と言っていたが案外大したことないのかもしれない、もしかしたら人違いかもしれない、もしかしたらもう死んでいるかもしれない、、、

色々な想像をした。

病院に着くと小さな小部屋に通されここで待っていてくださいと案内された。待っている時間は5分ほどだったと思うがその5分が永遠のように感じられた。

その後看護師さんに連れられ父の遺体と対面した。当たり前だが生気のない父の体が横たわっていた。驚きとショックで涙も出なかった。

ほどなくして警察官がやってきた。

車を運転中対向車を避けようとしたがスピードが出すぎて曲がりきれず、正面から木にぶつかりほぼ即死だったようだ。

この日父の姿を見たのが実に4年ぶりだった。